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[1404-1] 2006年11月18日(土) 14:57

ボランティアとは

投稿者名: 匿名です
コメント:
ボランティアとは何か?
(http://www.ishikawa-npo.jp/volunteer/manual_01.htm)
『ボランティア活動はあくまでも自発的(自発性)な活動であり、義務でも強制でもありません。個人個人の自由な意志により、考え、発想し、行動するものです。
ただ個人の意志により行動するといえども、自己の利益を目的とするものではなく、利他性が求められ、その活動や目的が社会に開かれたものである必要があります。さらに「無償性」「継続性」といった要件も求められます。』

よくボランティアは奉仕活動であると考える人がいますよね。そうではなくて本当は自発的な相互扶助活動のことなんですよね。
それが背景にあるのかどうか解りませんが、日本では十分浸透しているのか実際のところ良く解りません。

そこで、皆さんのボランティア体験やボランティアの概念にまつわる議論、出来事、感想などを自由に語って頂けませんか?
臓器提供意思表示カード(ドナーカード)手に入れたよ、とか、雪下ろしやってきたよ、災害時支援行ってきたよ、みたいな事でも結構です。
理屈では理解できるけど、実際やる気にはならないとかいうのでも良いですし、まあ、のほほんとした気持ちでも良いですので。

但し、ボランティアとかけ離れた話題や、特定個人の誹謗中傷はご遠慮願います。ここでは、代理母の是非の議論はご遠慮願います。
[1404-2] 名前:わん 2006年11月18日(土) 17:38
例えば・・・・
電車で、<席を譲る>
こう言う事は・・・??
[1404-3] 名前:さてと・・・ 2006年11月18日(土) 20:41
こんばんわ。はじめまして。

私ボランティアは何度か経験してます〜
無報酬で自己の精神のみで活動をするとても感慨深いものだと思ってます〜
そしてその内容は介護なんだけどね。

で、ボランティアをするきっかけになったのは、私の人生のどん底時代に『ローラ、叫んでごらん』という本と出会い、(多分その本の)文中に出てくるヘルパーセラピーという言葉がその時の私の心に光となって差し込みました。

私を癒してくれるのは、新しい恋愛でも両親でもない。人の温もりや温かさだと感じたんです。

子供はどんな親に対しても笑顔を向けてくれる。でも、他人が笑顔を向けてくれる事は早々無い。私の行動で他人が笑顔で応えてくれると、こちらもいつの間にか笑顔になっている。

私の中のボランティアとは、人と人とが無報酬で助け合う行為だと思っています。
[1404-4] 名前:匿名です 2006年11月19日(日) 7:48
おはようございます。 レス有難うございます。
たぶん取っ付きにくくて誰も当分はレスして下さらないだろうと覚悟してましたので、半日で2件もレスがあって感動しています。

わんさん
そうなんですよね。ボランティアというと、なにか相当大変なことを想像して、「わかっているけどなかなかねえ。」という人も多いと思います。
でも、わんさんがおっしゃる様に、意外と身近なところにも小さなボランティアってあるんですよね。
電車やバスなどで、<席を譲る>というのは、意外とできないですよね。みんな譲ってないし、どうして私が、って思っちゃうのはわかりますよね。
でも、<席を譲る>ったあと、その人の嬉しそうな顔や言葉って、すごく気持ちよくなれますよね。
ちょっと調べてみると、同じ事を考えている方もおられました。プチボランティアって言うそうです。
http://allabout.co.jp/family/volunteer/subject/msubsub_series-petit.htm
どうせ何かするなら、人の役に立つ方法を探してみるというのも、いいかも知れませんね。

さてと・・・ さん
すばらしいですね。介護、傍目と比べて実際は大変ですよね。
でも、
>私の行動で他人が笑顔で応えてくれる
って、理屈ぬきで嬉しいし、多少の苦労も通り越して癒されますよね。
さてと・・・ さんはお若いんですね。私はとっくに両親もいませんし、恋愛なんて遠い昔の思い出です。
でも、やはりいつも癒されたいという気持ちから離れることはできません。
自己満足かも知れないけれど、ちょっとしたこと、例えば、
車で道を譲ったり、地図を見て困っている人に話しかけたり、そんなことにこだわったりしています。
小さな自分でもできることがあるって、ちょっといい気分になれますよね。
もう少し、大きなボランティアもしてみたいと思うようになりました。
[1404-5] 名前:ぴぐれっと 2006年11月19日(日) 10:57
こんにちは はじめまして。
私は手話通訳のボランティア経験があります。
でもこれって全く無償の時もあれば、講演などの主催者がいる場合は有償だったりという具合で、完全なボランティアとはいえません。区別が難しいなと感じてます。

それから11年前に骨髄バンクに登録したんですが、先日初めてドナー候補に選ばれて現在検査結果待ちです。
これはボランティアだと思ってたんですが、交通費が支給されるんですよ。
やっぱりこれも完全なボランティアじゃないんでしょうか?
う〜ん、難しいです。
[1404-6] 名前:匿名です 2006年11月20日(月) 20:01
ぴぐれっとさん こんにちは はじめまして。
レスありがとうございます。真剣にボランティアに向き合っていらっしゃるのですね。
出勤時の電車内で時々手話通訳で会話している人に会います。
手話でよくあれだけの感情表現が出来るものだといつも感心します。
民間ではまだ少ないですが、公務員では「骨髄移植に関する特別休暇」なるものも普及しているようですね。

ボランティアにおける「無償性」はかって議論になったようですが、あくまで二次的要件でして、あまり議論に意味が無いので最近は論点にはなってないようです。
また、無償ボランティアでも、労働力の提供以外について、交通費や必要経費などの実費が支給されるのは問題ないという考え方もあります。
さらに、有償ボランティアという考え方もあって、これには謝礼なども含むという場合もあります。
また、青年海外協力隊やシニア海外ボランティアなど、生活費を支給するボランティアもありますね。
最近では、誤解や混乱を避けるため、「有償ボランティア募集」などと、わざわざ「有償」と明記している場合も見られますね。
やはり、最も大切なことは、個人の意思による自発的な相互扶助活動であることだと思いますが、いかがでしょう?
[1404-7] 名前:とんとん 2006年11月20日(月) 23:53
眠れなくて、ボランティアについて考えました。
ここを読んで、プチボランティアか〜。
私の思い浮かんだプチは、たまに車を溝にはまった方に出会うと、止まって手伝うことです。
もう一つは、入院していた時同じ部屋の方にシャンプーをしてあげました。
その時は、美容院で見習いだったので、シャンプーばかりしていて、得意だったので喜ばれました。
少ないな〜。
[1404-8] 名前:ぴぐれっと 2006年11月21日(火) 19:36
匿名ですさん こんばんは。
事情があり今までパソコン開けませんでした。お返事がおそくてすみません。
お話よく分かりました。本当にその通りだと思います。
疑問に思ってた部分も分かりすっきりしました。ありがとうございます。
これからも自分のできる範囲で活動していけたら、と思ってます。

とんとんさん こんばんは。
私は以前、溝にはまった車を助け、その後帰ろうと自分の車に戻ったらなんとインロックしていて帰れず、反対に自分が助けられるというおまぬけをした事があります。
あ〜、今思い出しても顔から火がでちゃいます。
[1404-9] 名前:とんとん 2006年11月21日(火) 23:38
ぴぐれっとさんどうもです。
私の名前が有ったので、見ました。
ええ〜!!と驚きの内容が。
うっかりさんでしたね。私だったらと考えてもその状況恥ずかしいかも。
でも、過ぎてしまえば、おもしろネタですね。

ぴぐれっとさんは手話通訳出来るなんて、すごいですね。手話を覚えたきっかけは、なんだったんですか?
尊敬します。
[1404-10] 名前:ぴぐれっと 2006年11月22日(水) 10:40
とんとんさん こんにちは。
私が手話を覚え始めたのは12年前になります。ただなんとな〜く始めてみたらおもしろくなって、近くの手話サークルに通ううちにもう12年たっちゃった?って感じです。
ちなみにだんなは耳が聞こえませんが手話はできません(笑)あべこべ夫婦なんですよ。
だんなに手話覚えてもらいたくて特訓中ですが、ついついスパルタになっちゃって嫌がられてます。
褒めて伸ばす!これがなかなか実践できなくって...。
[1404-11] 名前:りんご 2006年11月22日(水) 11:36
匿名ですさんはじめまして。
ボランティアってこの様な事も当てはまりますか?
いま私は、自治会の班(約10世帯単位)の班長を今年の4月から来年の3月まで当番でやってます。また、去年と一昨年は主人が役員をやってたのですが、これがボラティア精神でないとできないものなんですよね。班長の業務(大袈裟ですが・・)は、月1回の自治会費の集金・納入、広報の月2回配布、回覧を回す、2ヶ月に1回の評議委員会に出席などなどいろいろです。行事があれば、お手伝いで朝早くからの召集があるしで、大変です。しかし、当番で回ってきた以上やらなくてはいけないので、ボランティア精神でやってます。本当のボランティア活動をしてる方からすると、「こんなもん、違う」って言われそうですが、責任持って、やってます。

あと、実家の母が臓器移植のドナーカードを肌身離さず持ってます。これには、娘として、いざその時がきたら抵抗があるし、複雑です。苦しんで、痛い思いまでして、臓器を提供する時にまで、切り刻まなきゃいけないのって考えちゃうんです。ちなみに、母は元気にしてます。
[1404-12] 名前:匿名です 2006年11月22日(水) 20:41
亀レスすみません。
とんとんさん こんばんは。決して少なくないですよ!
ボランティアってあんまり意識しすぎると返って大変になるかもしれません。
少しずつ、自分の気持ちに素直になって、常に意識していることが重要なのかもしれませんね。

ぴぐれっとさん 楽しいお話をありがとうございます。
ぐうたらなスレ主ですので、皆さんでわいわいやって頂けると嬉しいです。

りんごさん 
自治会も当番とはいえ、はっきり言って面倒な事が多いですよね。
なるほど、そうですね、ボランティアと考えれば、うん確かに、有意義になりそうです。
これはいい事を聞きました。

臓器提供意思カード、私も持っていますが、家族にはまだ話していません。
自分が持った理由は、もし自分が脳死状態になったら、仮に実は意識があったとしても、家族に負担を掛けるより尊厳ある死を選びたいからです。
それで、人の役に立てるなら、それは大変嬉しい。火葬場で重油かけられてごーごー燃やされるより、役立てて欲しいです。

家族に話していない理由は、カードの家族の署名は必要条件ではなく、実施には署名に関わらず家族の意思確認がなされること、家族をまだ養う義務があってほんとうに直ぐ死ぬとは思っていない事、家族の反対の気持ちを聞きくのが辛い事などです。
でも、私は例え家族でもドナーカードを薦めようとは思いません。
これは絶対に本人の自由意志によるべきだと思っています。
矛盾してますが家族だと、心情的には、りんごさんと同じく、反対してしまうかもしれません。
そのうち、折をみて自分の意思は伝えようとは思っています。
[1404-13] 名前:らららり 2006年11月24日(金) 20:46
はじめまして。ボランティア活動をしている大学生です。
ボランティアをしていて、あるおじいさんに「昔はボランティアなんて言葉はなかった。みんなが助け合っていました」と言われたことがあります。
昔はボランティアなんて言葉を使わなくても、自然にそこに存在していたんですね。
活動中、気をつけているのは、「相手のために何かしたい」なんですが、見返りを求めてはいけないことです。無報酬だという意見もあるので当たり前ですが、お金やモノではなくて「心の無報酬」です。
相手に何かしてあげた時、心理的に、相手から「ありがとう」とか「ごめんね」とか「助かります」とか無意識でも要求してしまう時あります。別に悪いわけではないですが、相手から何も返ってこないと思って不機嫌になってしまう人をみます。これでは「相手のため」じゃなくて「自分のため」になります。そうなると自分の感情を優先したりして、あとあとトラブル…なんて経験があります。
でも、無報酬だぁ!とはりきってても、差し入れをいただくとか、手紙をいただくとかあります。それはうれしいものです。でもこれを目的としないようにしています。
大事なのは「相手のため」と考えてやっています。
[1404-14] 名前:匿名です 2006年11月25日(土) 7:48
らららりさん おはようございます
>「心の無報酬」
いい言葉ですね。仰るとおりだと思います。
若い世代の方達は、学生生活を通じてボランティア活動と触れ合う機会が増えて来ていると思います。
しかし、我々のように高度成長経済とともに成長した世代は、若い頃にボランティアという言葉や概念に触れることなく大人になったように思います。
そうした意味で、必ずしもまだボランティアという概念が十分に浸透しているとは言い難いような気もします。
確かに、村社会的な小さなコミュニティで形成されていた昔の日本には、火消しや見回りといった言葉に残っているように、相互扶助が息づいていたかも知れません。
それは、村社会というコミュニティを維持していく上で重要であったからだと思います。
村社会が崩壊した今日の日本で、相互扶助の概念も消滅してしまうのは悲しいとは思いますが、懐古していても前進はありません。
もっと大きな社会となった今、そこで相互扶助をどう息づかせるかが問題と思います。

マザー・テレサが来日した折、日本の印象を聞かれて「ものが豊かに満ちあふれた国、でも心の貧しい国だと思います。自分だけの幸福を追って、他人を思いやる心のゆとりがない人の笑顔は、とてもさびしそうです」と答えたそうです(http://www.j-tierra.com/tm/kijin/index6.html)。
我々は食糧の飢餓に瀕する危険性は小さくなりましたが、心の飢餓と隣り合わせに生きているような気もします。
若い世代の人と一緒に「他人への思いやり」ということを見つめ直したいと思っています。
[1404-15] 名前:らららり 2006年11月25日(土) 19:29
>匿名さん
 そうですね。僕もマザー・テレサの言葉を聞いたことがあります。今は心の飢えに苦しむ人がたくさんいますね。僕もその一人だと思います。自分がほしいモノ、ほしい言葉、愛情をねだるばかりです。しかし、自分がほしいモノが相手もほしいモノだったら争いになることを知らないといけないと思います。それがお互いの愛情だって同じです。
孤独がいやなんですよね、きっと。今の社会は孤独を感じやすいのかな…。比較されて生きている、比較して優位を感じれば孤独が満たされるのかな。
僕は、少しでも返していきたいと思いました。それが思いやりかもしれません。そんなに上手にできることはないけれど、思いやりがあれば、相手は少しでも満たされるだろうと思います。
ボランティアって目的ではありません。手段です。相手が満たされて幸せになることに幸せを感じるのです。ただそれだけのような気がします。
[1404-16] 名前:mimi 2006年11月26日(日) 1:52
ボランティアって色々ありますよね。無償や、ジュースなどのお礼を貰うもの、お金をもらえるのも。
人によるものかもしれませんが私にとって一番身近なボランティアって「献血」でしょうか。私もできる限り献血は協力しようって思って、しています。いつ自分もお世話になるか解らないし、気軽にできるって私は思ってるんですよね。
あとドナーカードも記入して持ち歩いてますよ。延命処置の必要なしで、あげられるものは全部あげます。といった感じです。「死ぬのに内臓持って行かなくてもいいじゃない、どうせ焼くんだから。誰かがそれによって助かるならその方がいい」という考えの持ち主です。結婚しているので家族がいますが、主人にも話しているし、納得して貰っています。
ボランティアは無理してやるものじゃなく、小さいことでいいから気楽に行うもにだって思っています。事の大小じゃなく、「気持ち」ですよね。後ろに人がいたら、ドアを開けて待ってあげるとか、段差を超えれない車椅子をそっと押してあげるとか誰に対しても優しい気持ちで接するのもそうですよね。心の問題だって思うのですが
[1404-17] 名前:りんご 2006年11月26日(日) 9:58
mimiさん
あなたがボラティア精神でやってる「献血」に、私の兄は2年前に助かりました。難病の「特発性血小板減少性紫斑病」っていう病気で、出血多量になった時に、毎日の血小板の輸血でなんとか危険から脱して、その後に皮膚がんも患ってましたので、皮膚移植の手術ができて、助かったのです。いまも、治療中ですが、なんとか普通の生活を送れて、元気に過ごしてます。献血をする方がいるからこそ、兄は助かったのです。全国の献血の協力者にお礼を言います。ありがとうございます。



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