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「あの日から15年」

2006年6月4日

雲仙普賢岳の噴火により、たくさんの方が亡くなられたあの日から、15年が経ちました。
あの日、私は長崎におりました。
6月1日に長崎入りして丸1日ロケを行い、2日から3日にかけては、長崎港から船で(韓国の)済州島へ向かい、さらに1泊2日のロケを行って帰ってくるというスケジュールで動いていたのです。
ディレクターは東京の制作会社の人間、カメラや音声・照明さんは、長崎の放送局で働く技術スタッフの皆さんという混合チームでのロケだったのですが、いろいろなシーンを撮り重ねながら、すっかり仲良くなった私たちは、済州島からの帰りの船の中で、「今夜はラストナイトですから、どこかで飲みましょうよ。明日を気にせずにガーッと打ち上げしなきゃ、ね!」などと、楽しくおしゃべりをしていた記憶があります。

が、その船が港に着いたとき、普賢岳噴火の知らせが入ってきたのです。
携帯電話の普及していなかったあの頃、港の公衆電話から社へ、「無事、ロケ終了」の報告を入れに行ったカメラマンが、私の目の前で、震えながら地べたに倒れこんでいくのを見て、「大変、貧血だわ」と、思ったのが最初でした。
駆け寄ってみると、ギョッとするほど顔が白くなり、一瞬で何十歳も年を取ってしまったような人相で顎をガクガク揺らしている彼の身体のどこかから、空気の漏れる音のようなかすれた嗚咽が聞こえてきました・・・。

「いつもだったら、僕らが、あの普賢岳のテントにいたんです。初めの噴火があってから、もうずっと、カメラをスタンバイしながら、あのテントに常駐していたのは僕らでした。・・・このロケが入ったために、僕らはあの現場を離れ、・・・かわりに、上司たちが普賢岳番をすることになって、・・・まさか、こんなに大きな噴火があるとは、・・・明日には、また僕らがテントに戻るはずだったのに、・・・どうしても信じられません。信じたくありません」と、あとから聞いたのですが、おかけする言葉が見つかるわけもありません。

罪の意識に苛まれていらした、あの技術スタッフの皆さんは、今頃どうしているのでしょう。
15年の間に、長崎にも普賢岳にも、あの皆さんにも、いいことがたくさんあったことと思いつつ(願いつつ)、今日は休みたいと思います。
噴火は3日でしたが、怖くてテレビ中継を正視することができず、「生存、絶望」の記事を確認したのが4日でしたので、私の中では、今日が特別な日になっております。合掌。