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「見ていてくれたりして」
2026年3月12日
母の家族写真です。
座っているのは、祖父の森 一郎、祖母の律。 後列の向かって左側にいるのが母の和。 後列真ん中は私の生まれる3ヶ月前に急逝してしまった叔父の彬。 セーラー服は叔母の妙。
祖父が校長をしていた鹿児島県立大口高校の校舎前で撮ったものでしょうか。 洋服を見る限り、母はすでに社会人(高校の化学教師)になっていたのかもしれません。
この世にいてくれるのは、もう妙だけになってしまっているものの。 ワタクシ、この写真が何故か本当に大好きで、いつもリビングに飾っているんです。
が、何故か見ていると泣けてくるので、3秒ルールでチラ見することにしていたりするんです‥けれども。
今日は少しじっくり見てしまいました。 はい、只今、涙腺ぶっ壊れてます(笑)。
来週20日、ワタクシ無事、日本女子大学 家政学部 通信教育過程 児童学科を卒業できることが決まりました。 (20日までは、正式には卒業見込み、です)
その際に、大学創立者のお名前のついた賞をいただけることが嬉しくて、叔母に報告したところ‥。
「彼岸で皆が喜んでいるわよ」と返信が届き、‥今日こそはこの写真をガン見してもいいなぁなどと思ったものです。
実は、卒業式には、律が作ってくれた振袖に袴を合わせて着る予定を立てております。
40年あまり前、成人式用にと贈られた振袖だったのですが。 成人式当日に「二十歳の献血キャンペーン」の呼びかけボランティア、プラス実際に献血もすることになり、どうしても振袖を着ることができず。
なおかつ、通っていた大学も結局中退してしまいましたので、‥本当に本当に、やっと『晴れ着』として振袖を着ることができる最初で最後のチャンスをゲットしたワタクシなのでありますー!!!
卒業式典には現役女子大生たちと一緒に出席しますので、かなり「浮く」可能性もありますが(笑)。 もうこの際、胸を張ってノシノシ歩いてきますね!
律は、終戦前まで、台湾にあった師範学校で家庭科を教えていたらしいのですが。 振袖をプレゼントしてくれる際、「もう少し大人になったら、この袖を切って着ればいいのよ」と言っていたので。
その教えを破ることになるわけですが。 呉服屋さんに頼んでも着付けさんに頼んでも、袖を切ったり折りたたんだりすることを「断固拒否」されてしまった私のことを空から見ていてくれたに違いありませんので。
胸張っちゃいましょうか(笑)。
律と最後に交わした言葉を思い出します。 認知症が進み、施設に入っていた律は、面会に行った私を当時の生徒のどなたかと勘違いしたらしく‥。
「あなたはいい目をしています。未来を見つめている目です。どうぞ頑張ってください」 「女は一生勉強し続けなければ、人生に勝てません。応援していますよ」
と、ものすごく丁寧に励ましてくれたので。 私もその生徒になりきって、「はい、少しずつですが頑張ってみます。ありがとうございます」と頭を下げて。
次に会いに行ったときは、もう冷たくなっていた律さんでしたが。 そのお通夜から、速攻で成田に戻ってアメリカへ採卵に行って、そのチャレンジから生まれたのが万里結太だったという、何だか不思議な繋がりもあり。
なんだかんだで、この写真は見るたびにたまらないのであります。
空から見ていてもらいたいです。
p.s. 妙おばちゃんによると、私は一郎に似ているそうです。 祖父はものすごく真面目で、機関車のように強くてまっすぐな人だったイメージですので、「えっと、どこが?」と思います。今度聞いてきます。
ちなみに、ワタクシ個人としましては、彬おじちゃんに似たかったなぁと勝手に憧れております。 大口の友人の方々の中にとても素敵に存在させてもらっている人で、ロケット開発に携わっていたようです。‥絶対に空にいますよね?
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