「不思議な夢を見つつ、風邪を治しております」
早めに薬を飲んだのがよかったのか、かなり楽になっています。ガンにはなってしまいましたが、風邪で寝込んだことは、ここ10年はありませんので、食べ物の好き嫌いが一つもないことと同時に、風邪をひき始めに退治することは、私の自慢できる点なのであります(エッヘン)。風邪で仕事に穴を開けそうになったのは、多分、結婚式の翌々日の長野ロケが最初で最後だったと思います。94年1月30日が結婚式(人前式&披露宴)だったのですが、当日へこぎつけるまでに、すでに口内炎が7〜8個できていたりと、ヨレヨレ疲労を溜めていた私は、式の直後にダウン。翌日は丸一日爆睡し、翌々日の早朝、上野駅に集合したときの記憶はありません。確か、マネージャーが来なかったような気がするのですが、ま、そのおかげで目が覚めたというか何というか、・・・ロケのファーストカットが凍った野沢菜をいただくシーンだったこともあって、その塩味がすべての口内炎に氷温で染みた瞬間にこそ、風邪が吹き飛んだに違いありません。そこからの記憶はありますから(笑)。さて、皆さんは、熱でうなされる夜に必ず見る“夢”がありますか?私の場合、不思議と、ある決まった夢を見るんです。二十歳の頃までは、少女の私が一人、校庭の鉄棒で遊んでいるところへ、校舎やその裏山が覆いかぶさるように襲い掛かってきて、一気に押し流されてしまうという夢を、いつも必ず見ていました。モノクロ、音なし、私以外に人っ子一人いない世界の、恐ろしい出来事を俯瞰している一瞬の夢なのですが、・・・あの様子は、津波か土砂崩れなのでしょうか。しかし、あるときから、校庭の夢を思い出すことはあっても、見ることがパッタリなくなりました。私が21歳のときだったと思いますが、同じく熱でうなされながらも、まったく別の夢が非常にクリアに頭の中に浮かんできて、それからは、体調を崩すたびに、その夢が上映されるようになったのです。この夢はカラーで、音も少しだけ聞こえます。左の頬と肩が泥水の中に浸かっている状態で、私は横になっているのでしょう。そんな私の顔のすぐ前を、ゲートルのようなものを巻いた数人の足が、バシャバシャと濁った水しぶきを上げながら走って行き、・・・そのあとはとても静かなのです。今度の夢は、その横になっている人(私?)が、その人の目で見ている情景の映像なので、水溜りと、数人の足、顔にかかってくる水しぶきの他は、赤みを帯びた粘性の強そうなぬかるんだ土と、泥の道の脇に生えている木とも草ともいえないような南国風の植物の、土から上50センチくらいの部分しか認識できません。顔にかかるものを拭えないところを見ると、彼(私?)の命は、その場所で終わったのではないかと思われますが、・・・どうして、私の頭の中に、それも熱を出して朦朧としているときに限って、この場面が、こんなにも鮮明に映し出されるのでしょう??前世、なのかなぁ。今夜もゆっくり休まなければ、また、あの夢を見ることになるので、ここらへんにしておきましょうか。ただ、あの夢を見るのは、悲しいんですけど、イヤでイヤで仕方ないというわけでもないんですよね・・・。昔、確か、NHKの『みんなのうた』で、「さとうきび畑の歌」が放送されたとき、初めて聴いた歌だったにも拘らず、いきなり腰が抜けて、涙が止まらなくなったことがありました。私が小学生の頃のことだったと思いますが、「さとうきび畑の歌」を、ちあきなおみさんが歌ったバージョンが流れていたことがあったんです、絶対に!NHKの知人に聞いたところ、「ええ? ちあきさんは歌ってないはずだけどなぁ」って言われちゃってるんですけど、んもう、ちゃんと調べたのかしら(笑)。もう一度、ちあきさんの声で聴いてみたいのになぁ〜(ウルウル)。あの歌を聴いたときの、あの説明のつかない衝撃的感動は、きっと説明のつかない何かと関係しているはず・・・などと、こっそり胸を熱くしている、霊感ゼロの向井でした。
うりぼう 2006年 2月 8日(水) 10:02 ×
はじめましてm(__)m私は生まれが鹿児島なんですが「やまと」に乗船していた人が私の部落にいました。周りのおじいさん達も戦争で足や手がない人もいました。「さとうきび畑」この歌は、私も衝撃を受けました。詩の情景が浮かび上がり悲しくて切なくて止めどなく涙が溢れてしまいました。戦争を語り継ぐのもいいですがこの歌をもっと知って欲しい。沖縄の人達の辛く悲しい戦争が会った事を・・。そう思います・・・。